
料理教室を始めるきっかけの続き
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*アイキャッチはれんこんのフライ
・産後の労苦
ここで少し、重い話を。
生まれて初めて実家を出て生活をすることとなった私。
夫婦共に愛知出身の我が家に親類縁者はいない大野市。
杜氏の夫はなかなか帰宅しない。
日本酒は数時間おきに手を入れる必要があるため、冬季は衣食住別で過ごす。
年子で出産した両手に乳飲み子を抱いた私は途方に暮れた。
産んだことに後悔はない。
あの時産まなければ、もう産めなかったかもしれない。
それは今になれば、なお強くそう感じるが、
本当に本当にほんとおおおおおおおおおおおおおおに!!!!!!
大変だったのだ。
明日を生きる自信を日に日に無くしていき、「ああ、もう死ぬかもな」と毎日つぶやいていた。
「死にたい」ではなくて「死ぬかもな」という既視感が強くあった。
例えるなら、堤防のヘリを平均台のように歩いているような感覚。
ここを踏み外したら、明日はない、という感覚が強くあった。
毎年、入院するほど異常な状態だった
これに関しても、いずれ何らかの形で文章にしたいと思う。
・自尊心とは
人生の中でもトップクラスの苦しい生活の中で、唯一アイデンティを保てたのは「料理」だった。
料理だけは、何者にも侵されない領域だったからだ。
なかば「これしかない」ような危機感を持って取り組んでいたが、実父の野菜を処理し続けた経験が、私を助けてくれた。
「大量の野菜を処理する能力」は、
大野で採れる新鮮な野菜を見極める能力に繋がり、
大野の農産物の魅力を知る力となり、
大野の地のものを知っていく力となり、
大野の産業を知っていく力になり、
大野の土地柄を知っていく事に繋がり、
大野で生きていく力を養っていったのだ。
自尊心とはなんだろう。
大野にお嫁に来たことで、ぶっ潰れてしまった自尊心。
でも、結局は大野で得たもので、私の自尊心は回復していった。