料理教室を始めるきっかけ 4

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・おむすび

おむすびはごちそう。
そう気づいたのは実は最近である。
おむすびは、命を結んでいるものだから。

   

例え、私が早くに死んだとしても、娘たちだけは長生きする人生を選択させたい。
寿命を精一杯充実させた生ける人生を送らせたい。
その為に多少物わかりの悪い母親となったとしても構わない。

   

これは、子供を産んだ時から一貫して今も変わらない母としての信念である。

   


さて、そんな信念とは裏腹に、当時の私は

乳飲み子を抱え、体調を崩しまくって、

入院しまくって、

階段を下りるかの如く「死ぬかもしれない」という既視感の中で、

子供にご飯を作ることが難しくなっていく。

   


まず、朝食に苦しむ。

   


簡単に済ませたいが、毎朝パンを食べさせることが、どうしても忍びない。
子供が幼い段階で、油脂類にまみれた味覚を作るのだけはどうしても避けたかった。
母が長生きしていたら、もう少し緩く考えることも出来たであろうが、
ひとつでもマイナスの因子を減らしたかったのである。

   

かといって、ごはんにお味噌汁お漬物などという純和風の朝ごはんを作る力など無く、
夜空を見上げながら、何度「お母さん…」と呟いたかわからない。
「お母さんはどうしてたっけ…私たちは何を食べていたっけ…」

   

夜空に母を思い描いては泣き崩れながら、日々を過ごした。

   

ある日、高熱を出して寝込んだ。
季節は冬。
夫は帰宅しない。
家内には授乳中の次女と、歩き回るようになった長女。
立つことも出来ず、副杜氏(頭)の嫁さんに「助けてくれ」と連絡をした。

   


彼女は、重箱に小さなおむすびを大量に握って詰めてきてくれた。
狂喜乱舞で娘たちが頬張る姿を見て思い出した。

   

「おにぎりを小さく握って、小さい子でも食べやすいようにして出していたよ」

   

母がそう言っていたんだ。

   

ああ、思い出した。
そうだった。私たちはお母さんのおむすびを食べていたんだった。
ケンタッキーでもお肉だけ買って、塩むすびで食べていたんだった。

   

知らず知らず、涙がぽろぽろとあふれ出して、副杜氏のお嫁さんの前で寝たきりのまま泣きだしてしまった。

   

おむすびは、命を繋ぐものだったんだ。
私は生きている。
娘たちにおむすびを握らなければいけない、と思った。

   

回復してから、私はおむすびを握った。
毎日、毎日、毎日握った。
他に何にも出来なくても、これだけは握ろうって決めて握っていた。

   


祈りをこめて。

   


この子たちにとって、一番良い道を歩けるように。
福運に溢れた毎日を過ごせるように。
保育園でいじめられたり、嫌な思いをしないように。
良い先生と、良い同級生に恵まれるように。
体調崩したり、苦しい思いをしないように。

   


幸せに生きていけるように。

   


たかがおむすびに祈りの丈を込めて握った。

   

するとどうだろう、元気におむすびを頬張る。
美味しそうに、おむすびを頬張るようになっていく。
なんなら2個3個食べるようになっていく。

   


祈りは通じる。
子供たちはだんだんと健やかに育つようになっていく。

   

そして、毎日毎日握っていると、なんとなく、こうした方が美味しいかも、とか
母のおむすびは、もっと柔らかかった、とか、
記憶も鮮明になっていき、
美味しいおむすびを握る試行錯誤になっていく。

   



そして「握る」では、力が入りすぎて硬くなることや、
むすんだ端から頂くより、ほんの一呼吸おいたほうが美味しい事、塩かげんで全く違うものになってしまうことなど、おむすびの世界の深さをだんだんと知っていく事に繋がっていった。
それはまさに、「握る」ではなく「結ぶ」ことであった。

   



母の「小さいおにぎり」は
「おむすびを握る」ようになり
やがて「おむすびをむすぶ」ことに繋がっていく。

   

結ぶこと。
それは本来私の得意科目だったのだ。
こうして私は再び「もしかしてイケんじゃね?」という壮大な勘違いを始めることとなる。

   

つづく

   

副杜氏のお嫁さんとは今も大野で一番大切な友人です。
もりのこりすという屋号で、チョークアートなど絵を描くお仕事をされています。
リンクはこちら

見にいってみてくださいね。


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