料理教室を始めるきっかけ 6

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アイキャッチ画像は手術の次の日の写真です。

・乳がん罹患

義父が他界してしまったこの頃、私には一抹の不安があった。
どこかで何かが壊れ始めている。

このままではいられない

なにか苦しいことが必ず起きるだろう、それは身内ではなく私自身の問題によるものだ、という確信に近い不安。
それはもう「死ぬかもしれない」などという既視感ではなく、「確信に近い不安」であった。

それを助長するかのように、仏壇に向かった時だけ乳腺が熱くなる。
授乳など当の昔に終わったのに、月の周期に関わりなく、ひどく熱くなる。
何度もそれを感じていた。

不安に駆られて、自己チェックをするが、何も見当たらない。
たった1度だけ、腋窩リンパ節に塊を見つけたのだが、ほんの一瞬で見失ってしまったため、気のせいだったか、と思っていた。
その事実すら手術が終わるまで忘れていた。

年齢は38歳。
母親が末期がんで倒れたのが49歳
癌が育つには10年の月日を要するという。

いま、ここで病気が見つかれば、死ななくて済むかもしれない…と思った。
40代に入ってからでは遅い。
そう思った。

そう思ったんだ。

直感だったのか、母からの指令だったのか、神仏に守られたのか、学んできた努力の賜物なのか。

たぶん

全部だったと思う。
1つでも欠けたら、私は死んでいたな、と今でも思っている。

2016年
11月、検査を受け、乳がんステージⅡaの診断を頂いた。

12月、左胸、全摘出。

2017年
1月、ホルモン療法開始。

2022年1月治療終了で緩解を迎える。

主治医に聞いたことがある。
「先生、私あの時見つかっていなかったら、今頃、ここに居ませんでしたね?」

主治医の返答は短く

「ええ」

それだけだった。

私の乳がんは珍しい形だった。
塊は、ほとんどなく、乳房の中に1センチ未満のちいさな腫瘍が30個ほど点在していた。
だから、素人が触診して自己チェックしたところで見つからない代物だったのだ。

まるで、母親の卵巣がんのそれのように。
播種を思わせる病態だったのだ。

違和感を無視していたら、と思うと今もってぞっとする。

どんな人も、自身の身体や心からでる信号を無視しないで欲しい、と切に願う。

   

ヒオキイヅミのハナシの佳境に入って来ました。
次回がクライマックスかな。

つづく

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