料理教室を始めるきっかけ 7

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まだしばらく重い話が続きます。


闘病生活の始まりは、
自分が食べてきたものとの闘いから始まった。

なぜなら、この時わたしは重度の砂糖依存症であった。
告知を受けた夜、
自分が食べてきたものが、悪魔のように迫ってきて、死へ誘うという、
一見するとコミカルに見える恐ろしい夢を見続け、一睡も出来ず、夫の腕に縋り付いて
「死にたくない、恐い恐い、死にたくない、闘病が恐い」
と言い続けた。

パニックを起こしていたのである。

母の闘病経験から、食の大切さは痛感していたが、いざ自分が夫の扶養のなかで専業主婦として子育てのみに専念していると、どうしようもなく節約せざるを得ない。
そもそも、既に母は他界しており、実家に帰っても育児を手伝ってくれる人はいないし、福井に居ても夫の仕事は多忙を極めており、頼る友人親戚が居なければ、当然、菓子パンやスナック的な食べ物をストックしておくしかなくなる。
愛知に住む義両親が、とても協力的にしてくださっていたが、世代間や価値観の違いはどうしても埋められず、ストレスが無いわけではなく、弱い所を見せるのは許されないままであった。

自分の身体が、それら全てを拒否していることは気づいていたが、
どうにもならない中で、


言いたい事を溜め込み、
自尊心を削り、
食事を削り、
睡眠を削り、

いつかは、常に口の中が甘くないと生きていけない状態にまでなっていた。

義父の闘病が終わった後、福井に戻った私は
毎日、キット〇ットの大袋を5分で食べきり、
その後、お昼過ぎになるまで動けなった。
血糖値の乱下降で常に貧血状態、怠くで動けず、家事をするのもままならなかった。

告知された夜、
そんな状態になるまでに、罪悪感に満ちたまま食べ続けていた、食べ物がひとつひとつ呪いのように、迫って来る夢を見続けた。
ゾンビのようだったし、悪魔のようだった。
けれど、
あれは、他でもない、私自身の闇から生まれた物だった。
意地汚い、食いしん坊の、甘い物だけを貪るモンスター。
それが私自身だ、と気づいた。
餓鬼(仏教用語で求めているものが満たされずお腹が空いたよー!と叫び続ける老婆)
だった。

この時の恐怖は今もって、はっきりと覚えている。
闘病の中で、最もつらかったのは、パニックを起こした、この一晩だった。
手術よりも、投薬よりも恐ろしい、
自分自身の深淵と向き合った一晩だった。

つづく


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